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眞子内親王の結婚年内だって。よかったあ、おめでとう。

菊のタブーがあるわけではないので、今回は皇室の話題。
タイトルにあるように、揉めに揉めている小室さんとの結婚問題。
先日、秋篠宮殿下が半ば諦める形で結婚を承諾する旨の談話が出されたことを受けてのことらしい。

初めに申し上げておくが、とくに皇室に思い入れがあるわけではないし、
愛国者的な気持ちを強く持っているわけではないので、別に皇室の問題にどっち寄りとかの
意見があるわけではない。

ただ、今回の眞子様の問題は、流石にかわいそうだなあと思って、
さっさと結婚させてあげればいいのに、と純粋に思っていた。
だって、本人の問題じゃないし、相手の元婚約者という人も一切表に出てこずに
安全地帯からの一方的な小出しの情報、卑怯な振る舞いとしか感じられない。

さて、今回の眞子様結婚なかなかできない騒動で、我々国民が考えるべき教訓とは?
それが今ブログのテーマである。

「皇室の方々との結婚相手の身辺調査はしっかり行うべきだ!」なんかでは無い。
SNSや週刊誌の報道で個人の情報があっという間に明らかになる現在、
叩けばホコリの出ない人はいないと言っても過言では無い。
小室さん問題もはっきり言って、他所様には関係のないホコリのような話である。

ここで、皇室のかかえる問題を思い出してほしい。
安定的な皇位継承策を今、有識者会議にて概ね2つの方針に絞り込んだらしい。
一つは女系天皇を容認し、性別に関係なく子供を天皇にする案。
二つ目は一度皇籍離脱した一般人を養子縁組するなりして皇籍復帰し、男系男子を確保する案。

まあ、有識者といってもこの程度の案しか出せないのかと、少しガッカリしてしまったが、
はっきり言って、長い目で見て男系男子継続については詰んでいるということなのである。
それをまた一時的な延命措置を施すか、根本解決するかの2択というわけである。

ながなが述べたが、結局私の言いたいことは、皇籍離脱した一般人が皇籍復帰する際に、
この度の小室さん騒動が毎回引き起こされて、結局誰も皇籍復帰できないという未来が、
見えて仕方がないのだ。

だって、600年前に天皇家との血筋が分かれいる上、離脱後の近年は一般人として生きており、
言い方は卑近だが、「叩けばホコリは出るだろうし、SNSなどの発言が過去に遡って追及される」
のである。どう考えても全国民のおメガネに適う人なんていないだろう。
これが一昔前であれば、これほど情報化社会が発達していなかったので、
過去の発言などが取り上げられることもなく、
ある意味その人の過去の暗部は揉み消して皇籍復帰が可能だったかもしれない。
しかし、現在のこの状況でそれはかなり難しいと言える。

これまでの皇位継承問題を先送りにしてきたツケがこのような形で表面化することになったと思う。
現在悠仁様が次の天皇になる可能性が最も高いが、現行の皇位継承制度のままでは、
結婚相手へのプレッシャーが半端ではないうえ、小室さん騒動が繰り返され、
結婚さえできない可能性がかなりあると思う。

結局ジェンダー差別を容認しない近年の風潮にもそぐわないし、
女系天皇が当たり前になるようにすることが、「国民の総意」でもって、
天皇家を祝福していくことにつながるのではないだろうか。

論理的に考えて、広く国民に受け入れられていく制度は一つしかないと思われる。
有識者は、どのように出来る限り「国民の総意」でもって天皇家を敬い、祝福していけるか
を考えて、国民への情報発信の仕方から考えていただきたい。
コロナの問題と同じで、最後は結局コミュニケーションの問題となるのだ。
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日病薬認定薬剤師の申請・更新様式が公開される

今年は自身のがん薬物療法認定薬剤師の更新年である。
症例報告が重くのしかかってくる。

昨年はコロナ禍の影響もあり、認定更新の症例数が15症例に緩和されていた。
今年の基準はどうなっているのかに注目が集まっていたが、
ようやく今年度の更新申請の要綱が日病薬HPにて公開された。

そして、今年も昨年同様更新申請の症例は25症例のうち「厳選した15症例」という
とんちの様な条件となり、事実上の症例数緩和が維持された。
個人的にはホッとしている。

がん薬物療法の新規申請の方もチラリと覗いてみたが、
こちらはなんと、50症例のうち「厳選した25症例」で新規申請が可能に改変されていた。
いつから変わったのかわからないが、結構な緩和である。
自身の申請時はなんか死にそうな思いで50症例を書いたことが思い出される。

そして、もう一つ、今年の更新に対し、憂鬱なことがある。
勤務歴の証明をするため、前職場の長にサインをもらいに行かなくてはならない。
久しぶりに、前職場に行ってみたい気もするが、何だかちょっと気が重い。

さあて、そんなことに気を揉んでいる時間はない。
さっさと15症例のネタを集めなくてはならない。
なかなかいいネタが思いつかない。今回はどんな介入の報告にすればよいのか。

典型例としては支持療法であるが、、、。
○吐き気対策、○しびれ対策、○痛み対策、○感染対策、○手足症候群・皮膚障害対策、、、
他には副作用の対応について
○減量・中止基準の適用、○副作用を疑い検査、、、
あとは薬理学的な介入
○相互作用や併用注意、
○レジメン選択について、とかもありえるか。

全然15には足りない。同じ施設に今年更新の人があと2人もいるので、
そことの競合にも気を配らなくてはならない。大変な7月になりそうである。

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新・旧字体による推理

東大螢雪会.jpeg
これは近所の駅の広告である。いや、予備校の宣伝ではない。
日々、この看板を見ていて、気になって推理していたことがある。
字体に注目してもらいたいのだが、螢雪会、よく見ると、「螢」だけが旧字体。
他に、雪も会も旧字体「膤のつくり部分(ヨの中棒が突き出る形)」「會」があるが、
この看板では採用されていない。

それぞれの文字は、常用漢字表や当用漢字字体表など、国が標準の字体を決めて
国民に使用を推奨(強制?)する制度があり、文字の形も時代とともに変遷している。
今回は「螢」「雪」「会」のうち蛍だけが旧字体なのが気になり、
その字体が使われるようになった時期を、字体表などから推測し、
この予備校の設立年を推測しようと試みたので、それを説明していく。

さて、まずは「蛍/螢」であるが、
右側の旧字体から新字体へ変わったことが確認できる時期は昭和56年の常用漢字表である。
これまで新字体、旧字体ともに漢字字体表に掲載されておらず、
どちらの字体も使われていた。旧字体の方が多かったのか?はっきりはわからない。
S56蛍.png
例えば「螢光燈」などのように表記されていた。当時は旧字体の使用が一般的と考えると、
昭和56年から「蛍」の文字が使用できるようになったと考えて差し支えないと思われる。

次に「雪」であるが、これは軽微な字体変更であるが、
他にも「急」や「隠」「侵」「慧」にも同じことが起こっている。
気が付きにくい例として「虐」のEの字にも同じことが言える。
しかし、「彗」は突き抜けるままである。
さて、雪の字体が今の字に変わったことが確認できるのは、昭和21年、
字体整理案という参考文献にヨの文字に置き換えるとして「雪」が出てきている。
S21雪.png
この時から今の字体「雪」の使用が始まったと考えて良い。

最後に「会」であるが、文部省の参考文献を見てみると、
昭和13年の字体整理案には旧字体の「會」だけが載っている。
S13会.png
昭和17年の当用漢字字体表には「會(会)」として初めて新字体が登場した。
S17会.png
「会」の自体が使われる様になったのは昭和17年ごろからと考えて良い。

これらのことから推測される「螢雪会」の設立年は、
昭和56年以前、なぜならこれ以降であれば「蛍」の字を使用した可能性が高いから。
そして昭和21年以降、なぜならそれ以前なら「雪」の字が旧字体のはずだから。
というわけで、私の推理は昭和21年〜昭和56年ということで、ファイナルアンサー。

螢雪会のHPを見てみると、設立年は1979年(昭和54年)となっている!
ということで、私の推理が正しかったことがわかった。ただ、それだけ。

あー、写真左上をよくみると最初から答えが書いてあったようで、、、、。
SINCE 1979
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日本化学療法学会 抗菌化学療法認定薬剤師申請症例 やっと書いた

抗菌化学療法認定薬剤師申請症例をやっと書いた。
昨日の当直の合間にせこせこと書いて、ようやく15症例となった。

抗菌化学療法認定薬剤師はAST(抗菌薬適正使用推進チーム)のための薬剤師の
知識、技能を認定するもので、昨今のICTと少し分派したチームにおける
中心的役割を担うことを期待される様な認定資格だと思われる。

当院のICT/ASTの担当ICDが退職したことにより、チームの弱体化は否めない。
これが全ての理由ではないが、チームのメンバーの専門チームの一員たる後ろ盾を
作ろうと考えて、今年度、認定薬剤師を申請しようと考えた。

症例を15例提出し、書類選考に通過すれば認定筆記試験を受験することができるらしい。
症例は、これまで使った日病薬の感染制御の症例を横流しすればいいくらいに思っていたが、
いや、そう簡単ではなかった。各症例ごとに提案根拠の明記や何を学んだのか書く、
「考察」の欄があるのだ。たっぷり400字。これが予想以上にキツイ。

別に普段から提案の根拠が薄弱な回答をしているわけでも、
ひとつひとつの症例から何も学んでいないのではないのだが・・・。

まあ、しかし、「言われみれば、これは何をエビデンスとしているのだろう」と、
基本に立ち返ることができ、大変勉強になった。知識の整頓ができた感覚だ。
さて、誤字脱字や鬼門のアンダーラインなど、書類不備的なミスを無くす様に
何回か見直しをしてから、期限の9月までに提出をしたいと考えている。
充分間に合う様に思う・・・、だがしかし、今年はがん薬物療法の認定更新もあるので、
全然気が抜けない。まだまだ症例と格闘する日々が続きそうだ。

それにしてもコロナ感染とオリパラ開催についてはどうなっているのか。
日本政府や菅さん、オリパラ担当が言っていることが全く持って論理破綻をしていて、
何を根拠に「安心安全なオリパラ開催」をすることができる様になるのかさっぱりわからない。
あろうことか感染症対策分科会の尾身さんの発言や提言に反発したり、無視したり、
政府の暴挙が目に余る様になってきた。
オリパラをどうしても開催したい気持ちはもう分かったから、
どの程度のリスクを取るつもりで、具体的にどうやって対策をとり、
医療への負荷をどの程度と見積もり、一般市民にはどの様な制約を強いるのか
これをはっきり示してもらえないと、ただただ「安心安全」という念仏を聞かされても・・・
そして、一番大事な、失敗した時の責任の所在とその責任をどう取るのか、
そして尻拭いの税金投入はどうなるのか、事前にはっきりしてもらう義務があるだろう。

結局、テクニカルな感染対策と、政府の覚悟を伝えるというこのこと、
これが全くできていないので、オリパラ開催したいよーオーラだけが伝わり、
そのメタメッセージである、
「オリパラ開催できるくらいだから、みんなそろそろ活動再開OKじゃね」
がどんどん市民の中に醸成されていくだけだろう。
もはや、この状況がエンターテインメントと化している感が否めない。

さて、こんな愚痴を書いても何の役にも立たないが、
将来見返した時に、こんなこと考えてたんだとわかる様に、記録しておくものである。
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コミュニケーションの逆説

 メッセージを伝えたい人にだけ伝えられない、伝わらないジレンマ。伝わる人には伝える努力をしなくても伝わるパラドックス。
 講習会に来て欲しい人が来ない。既に講習内容を知っている人だけが参加しに来て、内容が簡単すぎるというクレーム。そうなんです!そんなあなたは参加しなくても良いんです。(でも、全員参加って規定しないと本当に来て欲しい層の人々が参加しないと思うから、全員参加になっているのです)
 コロナの自粛要請も同じコミュニケーションの逆説構造を有している。緊急事態宣言なぞ出さなくても、マンボウなぞ出さなくても三密を避け、リスクの高い行動を避けることができる人々は既に行動をしている。一方で、伝わらない人々(自粛していない人々)に伝えなくてはならないというのがコロナ禍において求められているコミュニケーションなのだと思う。メッセージの内容自体、いくら正しくても、論理的で理解可能な言語で語っても、その周りから染み出してくるメタメッセージが相反するメッセージを放出してはいまいか。再度それを省みてはどうだろう。いま1番の問題となるメタメッセージは、「オリンピックをやります」というメッセージ。これはどう考えても「オリンピックが出来るくらいの緊急性のない状況なのね、今もこれからも」というメタメッセージを強烈に伝えている。これを変えるには、例えば、「この状況になったら営業中止要請」「この状況になったらイベント禁止」「この状況になったらオリンピック延期」とそれぞれの段階で「ことの重大さ」をわかってもらえるような引き換え条件をあらかじめ提示しておくことで、従ってもらえるようなメタメッセージを伝えることができるのではないだろうか。端的に言えば、「感染者数が○○になったらオリンピックは中止します。そうならないように皆さんにも協力をお願いします。具体的には云々・・」とこう伝えれば良い。何故こんな簡単なことが言えないのだろうか。これも十分考察に値する問いではありそうだ。
 論理的なメッセージが伝わらない層の人々にはメタメッセージで「ムード」を伝える工夫を加えなくてはならない。その方法の一つが、首長自ら条理を尽くして市民に語りかけることでもあるだろうし、一定以上の市民が付いて来て行動するような緻密な情報提供でもあるだろうし、法的拘束力を持った厳格な命令を通達することでもあるだろうし、支援金をうまく使って市民の行動を誘導する事も一案だろう。日本での状況を振り返ってみると、ここで挙げた一例のひとつも実行されてないようだし、実行されていても機能していないようである。
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数学が好きになる数の物語100話

数学が好きになる数の物語100話.jpg
2週間前に頼んだ本が、本日ようやく届いた。
巣ごもりのゴールデンウィークは宅配が大忙しだろうから、仕方がないのかも知れない。

さて、届いた本を早速眺めてみましたが、これ、楽しみにしていた数学の読み物。
数学が好きになる数の物語100話:コリンスチュアート
まあ、本格的かと言われたら、そうではなく、かなり一般向けの読みやすいお話になっている。
個人的にはまずまず満足。
暇なときに開いて1話読んでみる、なんていう雑誌感覚で読みたい。

そんななか、一つ誤植を見つけてしまった。これは翻訳の間違いではなく、
その前段階からの間違いかもしれない!?
正方形5つを組み合わせた図形「ペントミノ」の話題のページ(写真右)であるが、
各図形がアルファベットの形に似ていることから、それぞれに文字が振られているとの図。
良く見ると、「I」の図形が、テトリミノ(正方形4つ)ではないか。1枚足してあげよう。
ちなみに、作者のコリン・スチュアートは、
ポピュラーサイエンスの先鋒、イアン・スチュアートと関係があるのかと思ったが、
あるのかないのか良くわからんかった。

さて、ゴールデンウィークに読もうと思って頼んだ本がようやく読めるので、
今夜から春の夜長を満喫しようかな。
山尾悠子や皆川博子をじっくり楽しもうと思う。
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いよいよ第四波、五輪どころではないのでは

流石にこの第四波の急襲を見て、五輪と言っている場合ではない気がする。
あんまりオリンピック批判なんかはする気が、今まではなかったが、
この状況でも笑顔で聖火リレーとか、代表選考で涙とか、、、。
ちょっと、皆さん、現実から目を背けすぎではないかい、と。
お金に目が眩んでいるスポンサーは引っ込みがつかないので、
盲信、いや盲進するしかないとは思うので、止める術はもうない気がするが。

こんなところで呼びかけても全く効果はないが、もう最後の手段、こう言って欲しい。
池江璃花子選手にオリンピック中止/延期を進言してもらい、さもなくば辞退をしますと。
これが取引条件として可能なのは、もはや彼女しかいない気がする。
全ての五輪選手に問いたいが、今のこのコロナ禍で苦しんでいる患者や、
疲弊している医療機関や行政が多数ある中で、本当に競技をしたいのだろうか、と。
あまりにオリンピックは規模が大きくなりすぎ、金に塗れて身動きが取れなくなっている。

オリンピックだけがスポーツの素晴らしさを伝える場ではないことを、
模索して、挑戦するのがいまやるべきことかと思う。
いち医療者として、一人のひととして、池江選手には白血病を克服して代表に選ばれて、
ニュースを見たときには感動したけれども、だからこそ彼女には世界を見渡して、
いま必要なことは何かをちょっと考えてもらいたいと、そう思っている。
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年度末。急に思い出した昔話。

年度末で退職や新入職で慌ただしくなってきた。
本日も、今日付で退職する人のお見送りをしてきた。
そして、何故だか大昔、小学生の頃にあった出来事を思い出したので、
関係ない人にはなんのこっちゃだけれども、書き残しておこうと思う。

 僕が小学校1年生の頃(35年ほど前)だったと思うが、当時放課後に一緒によく遊んでいたのは近所に住む光明(みつあき)くんだった。光明くんは3年生で、何故だか僕は2つも年上の先輩とその先輩の友達に混じって一緒に遊んでいたのだ。よその家の庭を探検したり、駄菓子屋でかんしゃく玉買って燃やして遊んだり、キャッチボールして窓ガラス割ったり、TVゲームのファンタジーゾーンしたりして遊び、そしてよく怪我もしていた。
 そんなある日、お菓子がもらえるらしーぜーという光明くんの誘いに乗って近所のギンザ通り商店街の裏手の怪しい長屋に行ったことがあった。そこには所狭しと子供たちが集まって座っており、一人の大人のお兄さんが、菓子をいっぱい持ってなにやら歌っていた。そしてそれに合わせて集まった子供たちも一緒になって手を振って歌っていた。「じゃんけん とーすうけん じゃんけん ぽん!」が合言葉で、みんなでジャンケンをして、勝った子供たちがお菓子をもらえるという、ただそれだけの、謎の集会だった。僕ももちろん怪しいなんて思う判断能力は皆無であり、一緒になって「とーすうけん!」と叫んで、お菓子をもらっていた。今振り返ると、それは新手の塾の勧誘ではなかったかと思ったりしている。とーすうけんも、「東数研」とかいう塾の名称だとも考えられる。しかし、今となってはGoogle先生に調べてもらっても全く情報は出て来ない。ときどきひょんなタイミングでとーすうけんを思い出し、不思議な出来事があったなあと思う年度末であった。
 あの時、場合によってはハーメルンの笛吹男のように、子供たちが大勢どこかに連れて行かれてしまってもおかしくはなかったかもしれない、と考えると恐ろしい。現在では考えられないほど、牧歌的で、昭和な時代だったんだなあと思う。
おしまい。
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ささやかなルーティーン

勤務中はもちろん、外出時のマスクは当然の世の中になり、
息つく暇が全くなくなってしまった。
行き帰りの通勤も周りの混雑状況やマスクつけてない人が近づいて来ないかなど、
気を張っているので、ずーっと緊張で疲れてしまう。

そんな中、最近の本当にささやかな楽しみが、
帰宅時にマンションの1階で受け取った夕刊の小説
「ワンダーランド急行」を読みながらエレベーターに乗り、
自宅玄関に着いても読み終わらない時は、しばし立ち読みして味わう。
ただそれだけである。

ワンダーランド急行は荻原浩による日経新聞の小説で、
1月4日から連載がスタートし、何となく読んでいた。
タケウマ氏によるポップな絵も目を惹く。
とある主人公がコロナ以後の世界から誰もマスクを付けていない世界へ
迷い込んでしまった話である。まさに今、読んでいて味わいが深い小説だ。
これが、このコロナ禍の空気を直に吸っていない時に読んでも、
あまりリアリティーが感じられないかもしれない。

そんなこんなで、遅々として進まない新聞小説でありながらも、
実は毎日ちょっとだけ楽しみにしているのであった。
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東北の震災から10年

東日本大震災から10年を迎える。
3.11その日のブログを振り返ってみると、
その日も普通に外来化学療法室でFECの指導をしていたようだ。
翌々日のブログには被害の大きさに戦慄を覚えると書き込み、
緊急時には緊急時の適切な振る舞い方があると、
内田樹の発言を引用していた。キーワードは「寛容さ」であると。

10年を迎えるにあたって、あらためて被災された方、
亡くなられた方を思って今後のさらなる復興を願いたいと思います。

さて、10年の区切りを迎えるにあたって、
TVでは震災や震災からの復興を総括するような番組が多数放送されている。
本日も津波の被害に対して、何が生死を分けたのかと検証をしていた。
総括や検証は非常に大切であると思う。生き残ったものからしか
データは得られないが、必ず起こる次なる災害に備えて
検討をし、次世代に残していかないといけない。

本日のNHKの特集もかなり努力して作られていたが、
検証の内容がどうしても引っかかってしまった。
この話を思い出した。太平洋戦争時の旧日本軍の有名な逸話に
「負傷して戻ってきたゼロ戦の、銃で穴の開いたところを観察し、
次にゼロ戦を製造するときには、穴の空いたところを補強した」という愚話である。

今回の放送のテーマは、いかに未曾有の津波被害から逃れるか、である。
たまたまも含め、危機感のない人たちがなぜ避難所よりも高いところに避難したのか。
誰のアドバイスを受けて避難をしたのか、聞き取り調査をもとに地図上に再現した。
これによると「避難の連鎖」が生まれて、より高いところに避難できて
結果的に助かることになった、ということ。
この「避難の連鎖」が重要で、次なる災害時にこれを生かして・・・という結論である。

申し訳ないが、この論理には全く納得いかない。
確かに生き残った人の証言をもとにした分析しかしようがないが、
これは「結果的に正しかった」だけであって、避難所よりも高かった高台さえも、
津波に遭っていたら、結果的に間違った判断だったということになる。

私が考える論点は、
・津波の被害が想定されていなかった避難所ではなく、どうしてそこからさらに高台へ移動した人がいたのか。彼らの判断根拠は何だったのか。
・いわずもがなだが、間違っていた(もしくは悔やまれる)のは津波の被害想定と避難所の設定であって、避難した人たちの判断が間違っていたのではないと言うこと。
・起こりうる地震の規模と想定される津波の高さは科学的にある程度予測可能である。しかし、どの程度の頻度の地震までをカバーして対策をするか、これが難しい。1000年に1度の頻度の20m規模の津波対策とするのか、10000年に1度の50mの津波対策をするのか、ふざけているわけではなく、真面目にこの想定が重要なのだと思う。

生き残った人の証言や情報の解析とともに、次世代に活かす対策を、論理的なポイントを押さえて検討した総括をした分析結果を報道していただきたい。結語としては、当初の「寛容さ」からはまったくかけ離れてしまった。少し反省。
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