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メディア・医療者・政治の科学コミュニケーション

精神科医の齋藤環先生が答えたインタビュー記事が昨日紹介されていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f8bb85aab73c899bedf2da34f8d5cc2e8aa3bbe
最近のメディアの科学/リスクコミュニケーションに対して私自身が漠然と思っていた不全感をかなり代弁してくれている気がして、メモも兼ねて備忘録的にブログに残しておきたい。

日本のマスメディアは、あまり公的な使命を果たすという意識が乏しいのかなと思わざるを得ないです。どちらかと言えば、人々に共感されたいという願いの方が強くて、「共感性」という観点で見ると「反ワクチン」の方が共感を呼ぶ。
▷社会の木鐸なんて気持ちはさらさらなくて、結局大衆やスポンサーの方向を向く傾向を顕著に感じる。

ワクチンの評価は科学的になされるべきで、「うちたいと思うかどうか」みたいな情緒的反応に情報価値はありません。日本特有の茶番的な現象です。
▷これもまったく同意見。そんなことに時間を割くより、ワクチンの現時点での科学的にわかっている正確な情報を紹介してほしい。

メディアがどちらの方を向いているかだと思います。一つ言えることは、日本は同調圧力が強い社会です。なぜかわかりませんが、日本のメディアは同調圧力を作り出す側に回りたがる傾向がある。
▷メディア自身の影響力を実感するために、要するにオナニープレイをしているだけなのかもしれない。

医療にゼロリスクを求めること自体が誤りなのですが、コメンテーターの「長期的に見て何が起こるかわからない」的な発言は、「ゼロリスクを保証しろ」という悪魔の証明じみた有害なコメントでしかないと思います。そういう人に限って抗ウイルス薬に期待していたりするのもおかしな話です。
▷臨床現場でも同じだ。「〇〇の可能性も否定できない」という言説は100%正しいが、一歩も前に進むことができない無意味な事柄だ。岩田健太郎の言う「どの程度の可能性があるのか?」という重み付けをするだけでも少しは違ってくるだろう。

医療者の傲慢が人々から信頼されにくい状況を作ってしまっています。非常に高圧的だったり、権威的だったり、すごく偉そうに見えたりして、そこで傷つく人がいっぱいいるわけです。その結果、近藤誠さんのような既存の医療を否定する言説に引き寄せられてしまうのですね。
▷医療者の発信するコミュニケーションにも反省点があると言うこと。もう少し患者や家族に寄り添うコミュニケーションが求められるということか。言うは易し行うは難し。

誠実に説明をし続ける姿勢があれば、人々の不安もかなり和らぐし、たとえ政策が失敗し感染が拡大しても簡単に支持率は下がらない。むしろ上がるという事例がこれほど世界中にあるのに、日本の政府は真逆の方針をとりました。菅首相はディスコミュニケーションが芸風になっているような人です。それが今回は裏目に出ましたね。生粋の参謀役が総理になったら何が起きるかという「社会実験」はそろそろ答えが出たと言えそうです。
▷これは菅総理への皮肉100%。笑ってしまったが、これが我が国唯一の総理大臣であることを考えると全く笑えない。もう少しだけ温かみがあり、もう少しだけマシな政治家はいないのだろうか。
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新型コロナウイルス変異株

1/8に緊急事態宣言が発出され、東京都を中心に
地域限定的に飲食店を中心とした制限がなされることになった。

この発出に前後して、イギリスや南アフリカから変異株の検出報告が相次ぎ、
感染力が70%増など、心配になる情報が現れてきた。

ワクチンの有効性にも悪影響が心配される事態で、
今後のワクチンに依存した収束計画をを再び混沌に陥れかねない状況かもしれない。

まだ情報が少ない上、未確定な段階であれこれ言えないが、
日本の報道では、「日本のどこそこで変異株が発見された!水際対策を!」
みたいな調子が目につくが、
そもそも、現在毎日全国6−7千人の陽性者が発生している。
その1割程度しか遺伝子解析がなされていない状況では、
国内にすでに伝播していないと言えない状況かと。

であれば、すでに水際対策を!と言っていても遅きに失している。
未知のウイルス対策であるので、ある程度は対策が後手になるのは仕方がないが、
もう少し想像力を働かせて先回りした予防線を張る工夫を、
そろそろやってもいいのではないかと、素人目にも思ってしまう。

そんな中、当院でも入院時スクリーニングですり抜けて、
院内発症するコロナ陽性例が散発し、接触者PCRを何十人単位で実施する状況に。
幸いスタッフへの感染例は今回の事例では見つからなくて一安心したが、
すでに市中への感染者がかなりの割合で進行していることが感じられた。
戸田中央の事例、明日は我が身と思う。
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再び緊急事態宣言!?

1都3県の首長が国に対し、緊急事態宣言の発出を要請したことを受け、
どうやら政府は地域限定的に緊急事態宣言を出すことを検討するらしい。
年末に1300人を超える新規患者を数え、
医療機関が休みのはずの3が日も連日800人規模。
確かに慌てる気持ちもわかるが、煽るマスコミもどうなのだろうか。

堅実な対策を立てたとしても、そこから10日くらい経過しないと
新規患者は減少してこない。(西浦さんが言ってたでしょう)
勝負の3週間とは言いつつ、ほぼ無策の年末、
逆に減少する要素が見当たらない。これは予想通りの結果なのだと。
まずは、これを受け止めることがスタートラインだと思うのだが。

コロナ禍が始まって1年も経つというのに、今だに浮き足立っている。
別に、このブログで政府に提言という気はさらさらないが、
気になることを書いておこうと思う。
政府や自治体の首長は、新型コロナ感染症のモニタリング項目の
どの項目が、「具体的にどうなったら〇〇を検討する」とか、
「数値がどうなったら〇〇を要請する」などの、目安を発信しないのだろうか。
有識者も、その数値基準なり、考える目安を政治家に伝えないのだろうか。
1000人超えたから流石にヤバそうだからとか、完全に場当たり的な、
その場の雰囲気で意思決定を誘うような有様だ。

お願いや要請は、結局責任を国民に転嫁しているだけだと、
今日のNHKニュースで塩野七生が言っていたが、まったくその通りだと思う。
しかし、責任の一端は行動している国民にあるのは確かだとも思う。

要請するにしても、「数値がこうなったからこの要請をする」
などの、国民が注視できるメルクマールを提示しておかないのはフェアではない。
これは完全に後出しジャンケンである。
しわ寄せを食う人からの反発が常に起こってしまうだろう。
この「数値基準」はかつての大阪モデルを彷彿とさせるが、
イメージはだいたいそんな感じである。しかし、絶対基準ではなく目安、
そして複合的に判断するように運用にも柔軟性を持たせておかないと、
1000人超えた!→飲食店は8時までだ!
のように原理主義的な「基準警察」の横行を許すだけである。

このような「モニタリング項目の数値基準の目安」と
「その基準になった時の規制の例」を予め提示しておくことは
国民の段階的な行動制限に寄与するのではないかと考えている。
きっと、頭の良い人はもっといい案を考えても良さそうだが、
いつまで経ってもそんな気配は無いようである。
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