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東北の震災から10年

東日本大震災から10年を迎える。
3.11その日のブログを振り返ってみると、
その日も普通に外来化学療法室でFECの指導をしていたようだ。
翌々日のブログには被害の大きさに戦慄を覚えると書き込み、
緊急時には緊急時の適切な振る舞い方があると、
内田樹の発言を引用していた。キーワードは「寛容さ」であると。

10年を迎えるにあたって、あらためて被災された方、
亡くなられた方を思って今後のさらなる復興を願いたいと思います。

さて、10年の区切りを迎えるにあたって、
TVでは震災や震災からの復興を総括するような番組が多数放送されている。
本日も津波の被害に対して、何が生死を分けたのかと検証をしていた。
総括や検証は非常に大切であると思う。生き残ったものからしか
データは得られないが、必ず起こる次なる災害に備えて
検討をし、次世代に残していかないといけない。

本日のNHKの特集もかなり努力して作られていたが、
検証の内容がどうしても引っかかってしまった。
この話を思い出した。太平洋戦争時の旧日本軍の有名な逸話に
「負傷して戻ってきたゼロ戦の、銃で穴の開いたところを観察し、
次にゼロ戦を製造するときには、穴の空いたところを補強した」という愚話である。

今回の放送のテーマは、いかに未曾有の津波被害から逃れるか、である。
たまたまも含め、危機感のない人たちがなぜ避難所よりも高いところに避難したのか。
誰のアドバイスを受けて避難をしたのか、聞き取り調査をもとに地図上に再現した。
これによると「避難の連鎖」が生まれて、より高いところに避難できて
結果的に助かることになった、ということ。
この「避難の連鎖」が重要で、次なる災害時にこれを生かして・・・という結論である。

申し訳ないが、この論理には全く納得いかない。
確かに生き残った人の証言をもとにした分析しかしようがないが、
これは「結果的に正しかった」だけであって、避難所よりも高かった高台さえも、
津波に遭っていたら、結果的に間違った判断だったということになる。

私が考える論点は、
・津波の被害が想定されていなかった避難所ではなく、どうしてそこからさらに高台へ移動した人がいたのか。彼らの判断根拠は何だったのか。
・いわずもがなだが、間違っていた(もしくは悔やまれる)のは津波の被害想定と避難所の設定であって、避難した人たちの判断が間違っていたのではないと言うこと。
・起こりうる地震の規模と想定される津波の高さは科学的にある程度予測可能である。しかし、どの程度の頻度の地震までをカバーして対策をするか、これが難しい。1000年に1度の頻度の20m規模の津波対策とするのか、10000年に1度の50mの津波対策をするのか、ふざけているわけではなく、真面目にこの想定が重要なのだと思う。

生き残った人の証言や情報の解析とともに、次世代に活かす対策を、論理的なポイントを押さえて検討した総括をした分析結果を報道していただきたい。結語としては、当初の「寛容さ」からはまったくかけ離れてしまった。少し反省。
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