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年度末。急に思い出した昔話。

年度末で退職や新入職で慌ただしくなってきた。
本日も、今日付で退職する人のお見送りをしてきた。
そして、何故だか大昔、小学生の頃にあった出来事を思い出したので、
関係ない人にはなんのこっちゃだけれども、書き残しておこうと思う。

 僕が小学校1年生の頃(35年ほど前)だったと思うが、当時放課後に一緒によく遊んでいたのは近所に住む光明(みつあき)くんだった。光明くんは3年生で、何故だか僕は2つも年上の先輩とその先輩の友達に混じって一緒に遊んでいたのだ。よその家の庭を探検したり、駄菓子屋でかんしゃく玉買って燃やして遊んだり、キャッチボールして窓ガラス割ったり、TVゲームのファンタジーゾーンしたりして遊び、そしてよく怪我もしていた。
 そんなある日、お菓子がもらえるらしーぜーという光明くんの誘いに乗って近所のギンザ通り商店街の裏手の怪しい長屋に行ったことがあった。そこには所狭しと子供たちが集まって座っており、一人の大人のお兄さんが、菓子をいっぱい持ってなにやら歌っていた。そしてそれに合わせて集まった子供たちも一緒になって手を振って歌っていた。「じゃんけん とーすうけん じゃんけん ぽん!」が合言葉で、みんなでジャンケンをして、勝った子供たちがお菓子をもらえるという、ただそれだけの、謎の集会だった。僕ももちろん怪しいなんて思う判断能力は皆無であり、一緒になって「とーすうけん!」と叫んで、お菓子をもらっていた。今振り返ると、それは新手の塾の勧誘ではなかったかと思ったりしている。とーすうけんも、「東数研」とかいう塾の名称だとも考えられる。しかし、今となってはGoogle先生に調べてもらっても全く情報は出て来ない。ときどきひょんなタイミングでとーすうけんを思い出し、不思議な出来事があったなあと思う年度末であった。
 あの時、場合によってはハーメルンの笛吹男のように、子供たちが大勢どこかに連れて行かれてしまってもおかしくはなかったかもしれない、と考えると恐ろしい。現在では考えられないほど、牧歌的で、昭和な時代だったんだなあと思う。
おしまい。
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ささやかなルーティーン

勤務中はもちろん、外出時のマスクは当然の世の中になり、
息つく暇が全くなくなってしまった。
行き帰りの通勤も周りの混雑状況やマスクつけてない人が近づいて来ないかなど、
気を張っているので、ずーっと緊張で疲れてしまう。

そんな中、最近の本当にささやかな楽しみが、
帰宅時にマンションの1階で受け取った夕刊の小説
「ワンダーランド急行」を読みながらエレベーターに乗り、
自宅玄関に着いても読み終わらない時は、しばし立ち読みして味わう。
ただそれだけである。

ワンダーランド急行は荻原浩による日経新聞の小説で、
1月4日から連載がスタートし、何となく読んでいた。
タケウマ氏によるポップな絵も目を惹く。
とある主人公がコロナ以後の世界から誰もマスクを付けていない世界へ
迷い込んでしまった話である。まさに今、読んでいて味わいが深い小説だ。
これが、このコロナ禍の空気を直に吸っていない時に読んでも、
あまりリアリティーが感じられないかもしれない。

そんなこんなで、遅々として進まない新聞小説でありながらも、
実は毎日ちょっとだけ楽しみにしているのであった。
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東北の震災から10年

東日本大震災から10年を迎える。
3.11その日のブログを振り返ってみると、
その日も普通に外来化学療法室でFECの指導をしていたようだ。
翌々日のブログには被害の大きさに戦慄を覚えると書き込み、
緊急時には緊急時の適切な振る舞い方があると、
内田樹の発言を引用していた。キーワードは「寛容さ」であると。

10年を迎えるにあたって、あらためて被災された方、
亡くなられた方を思って今後のさらなる復興を願いたいと思います。

さて、10年の区切りを迎えるにあたって、
TVでは震災や震災からの復興を総括するような番組が多数放送されている。
本日も津波の被害に対して、何が生死を分けたのかと検証をしていた。
総括や検証は非常に大切であると思う。生き残ったものからしか
データは得られないが、必ず起こる次なる災害に備えて
検討をし、次世代に残していかないといけない。

本日のNHKの特集もかなり努力して作られていたが、
検証の内容がどうしても引っかかってしまった。
この話を思い出した。太平洋戦争時の旧日本軍の有名な逸話に
「負傷して戻ってきたゼロ戦の、銃で穴の開いたところを観察し、
次にゼロ戦を製造するときには、穴の空いたところを補強した」という愚話である。

今回の放送のテーマは、いかに未曾有の津波被害から逃れるか、である。
たまたまも含め、危機感のない人たちがなぜ避難所よりも高いところに避難したのか。
誰のアドバイスを受けて避難をしたのか、聞き取り調査をもとに地図上に再現した。
これによると「避難の連鎖」が生まれて、より高いところに避難できて
結果的に助かることになった、ということ。
この「避難の連鎖」が重要で、次なる災害時にこれを生かして・・・という結論である。

申し訳ないが、この論理には全く納得いかない。
確かに生き残った人の証言をもとにした分析しかしようがないが、
これは「結果的に正しかった」だけであって、避難所よりも高かった高台さえも、
津波に遭っていたら、結果的に間違った判断だったということになる。

私が考える論点は、
・津波の被害が想定されていなかった避難所ではなく、どうしてそこからさらに高台へ移動した人がいたのか。彼らの判断根拠は何だったのか。
・いわずもがなだが、間違っていた(もしくは悔やまれる)のは津波の被害想定と避難所の設定であって、避難した人たちの判断が間違っていたのではないと言うこと。
・起こりうる地震の規模と想定される津波の高さは科学的にある程度予測可能である。しかし、どの程度の頻度の地震までをカバーして対策をするか、これが難しい。1000年に1度の頻度の20m規模の津波対策とするのか、10000年に1度の50mの津波対策をするのか、ふざけているわけではなく、真面目にこの想定が重要なのだと思う。

生き残った人の証言や情報の解析とともに、次世代に活かす対策を、論理的なポイントを押さえて検討した総括をした分析結果を報道していただきたい。結語としては、当初の「寛容さ」からはまったくかけ離れてしまった。少し反省。
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